アーカイブ | 2022/08/15

お盆の再会。

パートナーが25年ぶりに旧友さんと再会し、その再会の場🍻から電話をくれた。

彼は、電話口で今この時を「嬉しい」と素直に言葉にした。

彼の口からそんな言葉が出てくること自体が珍しく、それだけで私は目頭が熱くなった。

旧友さんとも電話口で話すことが出来た。

私もパートナーと同じく、前にお会いしたのは25年前で、お宅へ一緒にお邪魔したとき以来でお話し出来た。

旧友さんが、

「よくご存知のように若いとき(彼と)悪いことばっかりしてたでしょ😅  二人とも友だちがほんまに少ないのよ💦 だからこんな風に友だちやと言える人間とこんな歳になって会えるんがね、ほんまに嬉しいんですよ。若い頃の話が出来る相手がおらんからね、幸せですわ、ほんまに。是非彼とまた来てくださいよ。美味しいもんご馳走しますから😄」と、

おっしゃった。

私は、

「彼も同じですよ。すごく嬉しいと思います。本当に私も嬉しいです。有難うございます。また一緒にお会いしに行きます」と話した。

25年の歳月、各々が紆余曲折を経て、いいおっちゃんたちとおばちゃんたちになった。

パートナーが旧友さんと別れたあと、案の定再び電話をしてきた。

嬉しそうに旧友さんとどんな話をしたか、報告してくれた。

オモロイはあっても、嬉しいとか楽しいとか、そういう感情がどうも乏しい彼の口から「嬉しい」という一言が聞けたことが何より嬉しくて、言葉にならない。

「あいつも自分(私)と話せたんが嬉しかったみたいやで。また一緒に会いに行こや」と彼が言った。

プライベートでわざわざ人に会いに行くなど皆無の彼が、ご機嫌な声で「会いに行こや」と言ったのが、またすごく嬉しい。

彼も旧友さんも、お互いに会いたいと思う友だちであるという事が、私にとって本当に有り難くて仕方ない。

神戸の地が大きく揺れたあの日、22歳で旅立った彼らの親友の思い出話が出来るということが、とても嬉しかったようだ。

今日は奇しくもお盆。

きっとTさんもあの当時のままの姿で、久しぶりに彼らと一緒にやんちゃなビールを酌み交わしていたに違いない。

私は何人もの善き友たちに恵まれている。

何人居ても友というのは有り難く、特にこの歳になると何にも替えがたい存在だ。

けれども彼や旧友さんは、やんちゃすぎた若かりし頃、喧嘩が強すぎた為に友だちと呼べる人が片手ほども居ないまま大人になった。

だから2人にとって今日の再会は、私などよりもはるかに心休まる温かなひとときだっただろう。

彼が電話で言っていた。

「あいつ、ええ歳の取り方しとったわ。目尻に笑いジワがようけ出来とってな」

「そっかそっか、それは良かったね。嬉しいなぁ」と私は言いながら心の中で、あなたもよ、と思っていた。

電話の最後に、

「終電の時刻を確認したのにホーム間違えたやんけ!くっそー、途中の駅までしか帰れんくなった!しゃあない、○○駅から歩いて帰るわ。いや、走るか。ロードワークやな、トレーニングや。朝には着くやろ」

と、彼は言って電話を切った。

……いや、

あなたなら走れるでしょうけども、

タクシーに乗るのを何ゆえそこまで抵抗する😑?

5000円もありゃイケるでしょ。

やれやれ、

家に着くまでに何回職質されるか見ものだわ😏