浄化と自浄。

皆様こんにちわ。

 

夏!という日差しと暑さを感じるこちら大阪。

洗濯物があっという間に渇くのが嬉しいです。

 

 

 

さて今回のテーマは『浄化と自浄』です。

 

 

私たちは普段、学校や職場、家庭やご近所など、様々な人たちとの関わり、関係性の中で生かされています。

意志で生きることは不可能なので、あえて生かされている、と申し上げます。

 

 

その様々な人たちの中に、時々びっくりするような発言や行動をする人が登場するものです。

 

相手の都合や生活に踏み込み要らぬお節介をする、親切の押し売りさん、

悪いのは全て自分以外のせいだという主張をする、責任転嫁さん、

人が自分の為に動くのは当然だと思い込んでいる、勘違い自己中さん、

 

などなど、列挙しても切りがないですね。

 

 

こういう人たちに遭遇すると、呆気にとられることもあれば、怒りを覚えることもあるでしょう。

 

特に、そういう人が身近にいてしょっちゅう顔を合わせなければならないとか、日常的に関わりがあるような場合には、「いい加減にして欲しい。本当にやってられない!」と感じるでしょう。

よく分かります。

そういう人に関わるのはとてもしんどいことですね。

 

 

難儀なのは、そういう人に指摘をすると反って怒らせたり、逆恨みされたりするということです。

 

 

この場合、指摘をするのは相手を変えようとする行為でしかなく、自分も相手が自分にとって都合の良い人であってほしいという想いがあります。

お互いにそう思っているから衝突するんですね。

 

どちらが正しいかを主張し合ったところで、お互いに自分が正しいと思い込んでいるわけですから、話し合いどころか平行線、もっと悪ければ揉め事が増してゆく事になります。

 

 

ならば、そもそも人は自分に都合よく動くものではない、と考えておくのが賢明だと思います。

更に、自分が変わるしかないという事に気付く方が良いでしょう。

 

 

相手が間違っているのにどうして自分が変わらなければならないの?!」

そう言いたくなりますね。

そりゃそうでしょう。

 

 

でも、冷静に考えてみましょう。

何故その気持ちになるのか。

 

 

大体は自分の中にある意地がそうさせています。

自分の方が正しいのだから優遇されるべきだ、

そう思うのは相手も同じなんです。

 

 

その意地を抱えたまま過ごしていて幸福感で満たされるならそれでも良いと思いますが、決してそうではありませんね。

 

 

怒りの毒を自分の中に抱えているのはとても消耗することです。

自分が自分を毒するからです。

 

見誤りがちなのは、毒しているのは相手ではなく自分自身である、ということです。

 

 

 

自分が正しい主張をしていればそれがまかり通るわけではありません。

意のままにならない事は当たり前に発生します。

 

 

意地を張って自分の中に毒を蔓延させてしまうことは、何もプラスにならないでしょう。

 

 

しかし、理不尽なことを許す必要もないと思いますし、心に嘘をつくのも違うと思います。

許せないと感じているならそれが正直な気持ちでしょう。

 

 

ただ、だからと言って相手を攻撃したり、非難したり、相手の不幸を願うのも、結局は自分の心を毒することに他なりません。

 

 

人を呪わば穴二つ、です。

 

 

 

ではどうすれば良いか。

 

 

自分で自分を幸せにする底力が有ることを信じましょう。

自分にしか自分を幸せにすることは出来ないことに気付きましょう。

 

 

この人が居なければ私は幸せなんだ、と思っている限り幸せはやって来ません。

あの人が居ないから私は不幸せなんだ、という勘違いに気付きましょう。

 

 

誰しも人は、大なり小なり手前勝手に出来ているものです。

それは自分自身も含めです。

 

 

迷惑をかけていないから手前勝手ではない、ということではありません。

 

嫌な人に出会ったり、気に入らないことに遭遇した時に「イラッ」とすること自体が、人は生来手前勝手に出来ているということです。

 

自分では当然だと思って、仮に悪意がなくとも、自分も誰かにとっての『悪者』かもしれません。

 

 

そうした危機意識や自覚があれば、自ずと周囲に対して優しくなれますし、巡り巡って人からの優しさが返ってきます。

 

 

 

 

浄化マニアの様な行動を取る人ほど、自分が他者から毒されていると思い込んでいるようです。

そういう思い込みこそが最大の毒です。

自らを毒し、更にそれを増幅させていることに気付いた方が良いでしょう。

 

 

 

『清濁併せ呑む』のが生きるという事。

 

自己の中にある清濁両方を見極められてこそ、本当の浄化、即ち自浄が叶うものと知って頂ければと存じます。

 

意志の範囲外。

皆様こんにちわ。

 

我が家の紫陽花あじさいがきれいにたくさんの花を咲かせています。

こんもりとした紫陽花の花、大好きです。

 

 

 

さて、今回のテーマは『意志の範囲外』です。

 

 

私たちの日常の中に於いて、様々な事が起こっています。

その出来事は取るに足らない事や、驚くようなこと、思いがけずハッピーな気持ちになる事、悲しくて沈んでしまうようなことなど、目まぐるしく複雑に絡み合って発生します。

 

何事も無い普通の日常に見えても、そこにはたくさんのヒントが隠れているものです。

 

 

物事は因果応報ですが、懸命に頑張った結果がいつも自分が望んでいた通りになるとは限りません。

 

毎日毎日厳しいトレーニングをしているアスリートの方々でも、試合で勝敗がついてしまう、そういうものです。

あんなに頑張ってきたのに、と悔しくてたまらなくなる事もあるでしょう。

絶望的な気持ちになる事もあるでしょう。

 

 

視点を変えてみましょう。

 

 

もし、全ての人の想いや意思が一つ残らず実現してしまったら、この世の中はどうなるでしょうか。

 

換言しますと、全ての人の願望が全て叶うとしたら。

大変恐ろしいことが起こりますね。

 

 

つまり、願望は基本的に『叶わないのが当たり前にしておく方が良い』のではないでしょうか。

 

 

誤解のないように申し上げますが、生かされている人生に於いて努力は必要です。

我慢、辛抱、努力、誠実さ、優しさ、強さ。

これらは必須科目と言えるでしょう。

 

明日以降の自分がより良いものになるには、今この瞬間の自分の心構えが間違いなく影響します。

 

 

ただ、その結果が自分の『望んだ形』として現れるかどうかは別、ということです。

 

 

自分が意志を持って頑張った結果が望んだ形に現れたら喜ばしいものですが、あくまでもそれは「~になりたい」という願望、我欲の結果に過ぎません。

勝ちたいから努力してきた。

その結果が勝利だったりします。

 

努力し続けてきたという事だけでも凄いことなのは言うまでもありませんが。

 

 

 

しかしながら本当に注目すべきことは、むしろ『意志の範囲外』です。

多くの人がこの『意志の範囲外』を見過ごしているように思います。

 

 

望んでいない事が身に起こる。

これは、嬉しいこともありますし、そうでない事もあります。

 

 

例えば、

長らく頑張って挑戦し続けてきたのに、何度やっても結果があと一歩のところで出ない。

前の職場では酷い人たちからパワハラを受けて苦しんだのに、今の職場はどの人も皆親切でとても優しく接してくれる。

長期にわたって転職活動をし続けているのに、どこからも内定がもらえない。

…などなどです。

 

 

 

人にはターニングポイントというものがあります。

そのタイミングがいつなのかは個々の星回りに依りますが、ある程度の年数を生きていれば必ず変わり目が訪れます。

 

 

望まない事が発生する時は、その人にとって大変重要なメッセージとして現れているものです。

特にその出来事が度重なっているとしたら、気付かなければならない事がより強く示されていると思ってよいでしょう。

自らの意志の範囲外だからこそ、そこには大きなメッセージがあるということです。

 

 

自分に都合の良い思考を繰り返していると、客観的な視点を忘れ、度々現れるメッセージには全く気付かぬまま堂々巡りに陥り、やがては強い執着が生まれ、さらに雁字搦めになります。

 

 

 

よくあるのが、「いつ結婚できますか?」というご質問です。

 

その度に思います。

「あ、できる前提なのね。」と。

 

しかも「幸せな結婚」しかイメージしてないのが伝わってきます。

結婚したい→結婚できる

と思い込んでいるパターンです。

 

世の多くの女性がこの思考パターンを持っています。

 

 

結婚は大変めでたいことですが、そもそも縁の問題です。

ご縁が繋がったとしても、そこでも試されることがあったりします。

 

結婚はゴールではありません。

あくまでも人生の伴侶との修業のスタートです。

互いにぶつかり合いながら磨き合い、辛抱、我慢、努力、が試される、まさに修行です。

 

子育ても同じことが当てはまるでしょう。

 

 

 

何回恋愛しても、どうしようもない男性に振り回される、所謂ダメンズウォーカーの女性、少なくありません。

 

パーツ(相手)が変われば今度こそ幸せになれる、そう信じ込んでいるように見えます。

 

 

よく考えてみましょう。

これまで全てのパーツ(相手)に共通している人物は誰ですか?

 

 

はい、そうです。

そういうことなんです。

 

 

つまり自分自身が本気で変わる努力をしなければ、何人と交際しても同じパターンの繰り返しなんですよ、というメッセージがそこに在るわけです。

 

 

 

これまで自分が見落としていた事、気づかなかったこと、目を背けてきたことなど、様々なメッセージが日々の生活の中で与えられていることに気付いた時、初めはショックを受けるかもしれません。

 

しかし人は思いのほか逞しくできています。

 

気付くべきこと、棄てるべき事、変わるべきことが分かったその瞬間こそ、在るべき新しい自分を手に入れた瞬間であるのは勿論のこと、そこから新しい人生のステージが始まるのです。

 

 

 

意図せずして起こることのすべては学びとして発生しています。

自らの意志が働いていない事にこそ、大事なメッセージがあります。

 

 

『意志の範囲外』に目を向け、自分に都合の良い解釈をやめ感情を含め身に起こるすべての事柄を俯瞰で観察してみましょう。

 

 

そういう目を持ってみると、日々の暮らしの中にこそ学びがあることに気付けるでしょう。

 

どれだけ知識の上塗りをしたところで、素の自分が変わらなければそれは単なる誤魔化しです。

自分を成長させるのは最終的に自分にしかできない事です。

 

 

先入観や言い訳なく、メッセージに素直に気付ける自分であるかどうかが、負のスパイラルから脱出し、清々しく生きてゆくためのポイントではないかと思います。

 

本。

皆様こんにちわ。

 

今日で5月も終わり、明日からは早、6月でございます。

光陰矢の如し…。

 

 

さて、本ネタです。

 

 

以前購入して読みました、

と、

は、とても面白かったです。

 

『出版禁止』は、仕掛けがあってミステリー娯楽として楽しめるもので、エンターテインメント作品でした。

 

『イノセントデイズ』は、救いが無いストーリーですがそれ故リアルさを感じる物語でした。

誰もが陥る可能性のある、孤独と隙間。

絶望的な内容ですがそれとは対照的に主人公の心象描写がなされていて秀逸な感じです。

 

 

 

又吉さんお薦め、とあったので買ってみましたこちら、

ですが、残念ながら私の好みではありませんでした。

 

 

 

最近購入して読んでみた次の3冊は、いずれも初めて読んでみる作家さんの作品です。

 

まずは、

ですが、

めっちゃ悪い奴が出てきます。

現実世界でも確実に存在するタイプの悪い奴が登場します。

欲を言えば、もう少しその悪い奴の背景描写が細かければ嫌な奴感がもっと出てたかも、なんて思いましたがそれなりに面白く読めました。

 

 

次にこちら、

ストーリーは暴力と恐怖による洗脳ですが、その描写がえげつないです。

漫画の『闇金ウシジマくん』を愛読してらっしゃる方には、自ずと『洗脳くん』を思い出させる内容です。

ダークなストーリーがお好きな人にはお薦めですが、ハッピーな話やファンタジーな作品を好むかたには不向きです。

 

 

そして、かなりハマったのがこちらです。

相当読み応えありました。

 

単行本で『災厄の季節』で発刊され「このミステリーがすごい!」で注目され、文庫版で『連続殺人鬼カエル男』に改題され2011年に発刊になっているようです。

ある日、高層団地の13階の庇(ひさし)に金属製のフックを口元に引っ掛けられ、マグロの様に吊るされている若い女性の遺体が発見されます。

遺体は裸でビニールシートが巻き付けられ覆われていました。

遺体と共にあったメモには、幼い子供が書いたような犯行声明。

カエル男は誰なのか。

街も国もパニックに陥ります。

刑法三十九条への問題提起もあります。

心理学に関心のある方には特にお薦めです。

 

 

この作家さんの作品はよく店頭で見かけていたのですが、手に取らずのままでした。

でもこれを機に、他の有名な作品も是非読もうと思います。

 

「東洋占い 雨のち晴れ」新サイト;追記。

皆様こんにちわ。

 

「東洋占い 雨のち晴れ」の新サイト公開から1週間経過いたしましたが、お蔭様で新サイトからのお申し込みも順調に増えてきており、感謝申し上げます。

 

さて、リピーターのお客様から「料金が掲載されていないのですが以前と変わってないですか?」とのご指摘がございました。

何とわたくし、料金掲載をするのをすっかり忘れておりました。

 

お知らせくださいましたお客様、本当に有難うございます。

間抜けなわたくしのやること…こんなもんです。はい。

 

 

ということで、新サイトのホーム画面に料金の項目を追記いたしました。

ついでにプロフィール画面にも少々追記しておりますが、ご興味おありの方はご覧くださいませ。(ぜーんぜん興味ないとは思いますが…)

 

「東洋占い 雨のち晴れ」新サイト

 

Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band 50th S.E.

皆様こんにちわ。

 

今回の記事は興味なしの方には全くどうでもよい内容です。

あしからず。

 

 

情報番組等でご存知の方も多いかと存じますが、5月26日、敬愛するTHE BEATLESの”Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band”の50周年記念エディションが発売になりました。

Amazonで予約購入し、発売日当日に手元へ届きました。

 

 

はい。

私が買わないわけがありません。

 

 

これまでのSgt.P~のCDと同じ……

 

 

 

なわけなかろう!!!!!!

 

 

 

約30㎝×30㎝四方のでっかいパッケージは3D。

百科事典並みに重い。

 

 

New Remix CDを始め、CDだけで4枚、DVD1枚、Blu-ray1枚、計6枚組。

 

更に、ファンにはたまらない、各曲ごとの手書きの歌詞と解説が、別冊のハードカバーブックに収められている。

 

 

その他、初回盤限定のしかも日本限定のペーパージオラマ(切って組み立てる用)、ポスター、ジョンが部屋に貼っていたという”Being For The Benefit Of MR.KITE ! “作曲の元になったポスターレプリカ。

 

 

とにかく中身は”Sgt.P~”の

乙女のトキメキ宝箱乙女のトキメキである。

 

 

 

はやる気持ちそのままに、New Remix CDをPlay。

哀しいかなオーディオ機器は古く壊れてしまった物を廃棄して以来買っていないので、テレビのBlu-rayレコーダーで聴く。

 

 

 

自室が、これまでのものとは全く異次元の音の拡がりで満たされ、Sgt.P~が全身を襲ってきた。

 

 

震えた。

涙出た。

 

 

ここは、コンサートホールか、ライブ会場か。

壮大さに鳥肌が立つ。

 

 

 

50年も前に発売されたこのアルバムは、BEATLESと名プロデューサー・George Martin、彼ら5人の飽くなきチャレンジと意欲と妥協なき追及の最高傑作。

 

 

Rocks & Pops界の歴史を革命的に塗り替え、事実、世界を変えるほどの、彼らを超えるバンドは登場していない。

 

そして過去にも現在にもこのアルバムを超えるものが無いと称される”Sgt.Pepper’s Lonely Hearts Club Band”が、50年の歳月を経てさらにその輪郭を際立たせて舞い降りた。

 

 

最高。

 

「東洋占い 雨のち晴れ」新サイト、できました。

 

皆様こんにちわ。

初夏の陽気、日中は汗ばむようになりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

 

 

さて、以前にもお知らせいたしておりましたが、2009年の開店以来、本当に多くの皆様に訪れて頂きました旧ホームページですが、Microsoftのサポート終了に伴い閉鎖し、新しいホームページを立ち上げることに致しました。

 

地道に時間の隙間を縫いながら少しずつ作成し、ようやくどうにか形にする事が出来ました。

 

 

 

ご来店下さるお客様から、

「ホームページのお写真と印象が全然違いますね~(笑)」と、

多々ご指摘を賜り続けたこともありまして、長年変えていなかった自身の写真も撮り直して掲載いたしました。

 

見せるほどの顔じゃないのは間違いないんですけど。

こっ恥ずかしい…。

史津香の顔をご覧になって、どうぞ一笑いしてやってくださいませ。

 

 

 

暫くの間は旧サイトも機能しておりますが、新サイトが検索に上がってくるようになりましたら、閉鎖する予定です。

お手数ではございますが、当店のウェブサイトをブックマーク頂いているお客様、新サイトをご登録頂けましたら幸いです。

新サイトも皆様に馴染んで頂けるよう願っております。

《「東洋占い 雨のち晴れ」新サイト》

ともだち。

皆様こんにちわ。

 

5月も半ばとなりました。

我が家のさくらんぼの木が沢山の実を付け、父が全て収穫していました。

写真を取る前に全部摘んでしまわれました…。

 

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚

 

 

さて、今回のテーマは『ともだち』です。

 

ネットの辞書では、

 

《友達》

互いに心を許し合って、対等に交わっている人。

一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。

 

とあります。

 

 

 

皆様、友達は何人いますか?

私は昔から有難いことに友達には大変恵まれています。

 

SNSが当たり前になっている昨今、見た目の数だけは増やそうと思えば増やせます。

SNS上で友達が多いか少ないかで一喜一憂している人も少なくないはず。

 
『互いに心を許し合って、対等に交わっている人』

そういう素晴らしい友達が一人でも居れば最高ですね。

 

 

 

頻繁に会うから友達だとは限りません。

職場の同僚で仲良くなる人も居るでしょう。

その職場を離れても個人的にお互いが会いたくなるなら、友達なのでしょう。

 

 

友達には年齢差や性別の違いも問題になりません。

年上も年下も同世代も、友達になれる要素を持っています。

 

 

学び合うことができ、

補い合うことができ、

励まし合うことができ、

ダメなことはダメだと断言でき、

互いの幸福を願うことができ、

悲しみに沿うことができ、

会うとお互い元気になることができる。

 

 

これらの事が自然とそこにある関係なら、

趣味や嗜好や服の好みが違っていても、それは友達なのでしょう。

 

大切にすべきご縁です。

 

 

 

同じ価値観を持つ人、同じ趣味を持つ人が友達になるとも限りません。

趣味嗜好が違っても、自分には無いものの見方を示してくれることもあります。

あなたを成長させてくれる人です。

 

 

 

しかし中には、「友達だよね?」という言葉を向けてきて何かと要求をする人がいます。

その様な人は残念ながらあなたを必要としているのではなく、ただ都合よく利用しているだけの人です。

あなたに迷惑をかけるかもしれない、という配慮を欠く人は友達とは言えません。

そういう人とは離れましょう。

 

 

反対に、あなたがもし自分にとって都合の良い事を相手に求めているとしたら、その人はあなたを友達だとみなすことは無いでしょう。

 

 

友達というものは、何かを求める対象ではありません。

欠点があっても、ただ居てくれるだけで安心。

その人だから。

それだけです。

 

 

求めるのではなく、願う対象だと思います。

その人が元気でいてくれること。

笑顔で過ごしてくれていること。

あなたがそう願っているならば、大切な友達のはずです。

 

 

 

時に、あなたの優しさや奉仕的な心を邪な気持ちで踏みにじる人も現れるでしょう。

その様な時は、傷ついた分だけ学びがあります。

 

 

また、陰で誰かの悪口を言う人は、必ずあなたの居ないところであなたの悪口を言います。

居ない人の良くない面を言うのは、悪口です。

 

質の悪い人は、自分一人で悪口を言う度胸が無く、本人を目の前にして一人で戦う根性も無いので、あなたの口を借りて罪の重さを軽くしようとします。

友達のふりをして、悪意の塊ですね。

その様な人は必ず同調を求めてきます。

「さぁ、わからないよ。」と、いなして警戒しましょう。

 

 

 

本当にいい友達というのは、あなたが深く傷ついた時や悲しみに暮れている時に、温かい言葉をかけてくれたり、じっとあなたの話を聞いてくれる人です。

 

そういう友達に恵まれているとしたら、あなたは最高の友達を持っていると自負して良いでしょう。

 

そして、その有難いご縁を引き寄せているのも、あなたが同じように友達に対して心から温かく接しているからに他なりません。

 

 

 

友達になろうとしなくても、気付いたら友達になっていた。

そういうものじゃないかと思います。

 

 

 

友達に感謝。