アーカイブ

それは、自分がやっていること。

皆様こんにちわ。

 

 

先日、テレビを見ていて思うことがありました。

「いつも自分ばかりが怒られるのが嫌で、怒られないように怒られないようにしていた。」

と出演者のとある方が仰っていました。

 

けれどもその方のお話を伺っていると、誰がどう聞いても当人が相手を怒らせているんですね。

大袈裟な表現を使いますが、『自分は怒られている被害者で、怒っている相手が加害者である』という先入観があったんですね。

 

 

でもこれは、この人に限ったことではありません。

この方の場合は「怒られる」ことでしたが、実は全ての方が自分にとって他者から一番されたくない事を、つい他者に向けてやってしまっているのです。

 

 

例えば、

「いつも否定される。否定されたくない。」人は、他者を批判的な目で見ている人です。

 

「いつも自分ばかりが頑張っているのに誰も評価してもらえない。」人は、他者の頑張りや努力や成果を疎んじている人です。

 

「人からバカにされる事が恐い。」人は、自分よりも賢くないと感じた人に対して軽蔑にも似た感覚で見ています。

 

「使えない奴だと思われることが我慢ならない。」人は、心の中で利用価値のあるなしで人を仕分けしています。

 

 

このように、最も自分が恐れていることを、他者に対してやってしまっているのです。

一番問題なのは、周りから見たら一目瞭然で「あなた自身に問題があるよ」と見え見えなのに、当の本人だけがそこに全く気付かないどころか、周囲に対して被害者意識を募らせてしまっているということです。

 

人から批判されたり嫌われたくないと思っている人ほど、すぐに人の悪口や批判を言います。

自分が言うのを止めたら、自ずと言われなくなります。

 

 

昔から、『人は鏡』と言われますが、実際その通りです。

紫微斗数でも顕著にその様子は現れます。

 

 

最も苦手だと感じているその相手は他者ではなく、無意識に『されたくない事をやってしまっている』あなた自身である、とわかります。

 

いやはや、怖いですねぇ。

 

敵は自分の内なる心に他なりません。

 

 

 

もし、

「どうして自分ばかりいつも○○されるんだろう。」とか、

「どうしてもっと○○にならないんだろう。」、

などの気持ちが自分の中でくすぶっているとしたら、ひょっとすると自分自身が一番他者からされたくないことを無意識にしてしまっている可能性があります。

 

 

自分が一番他者にしてほしいこと、即ちそれは、あなた自身が一番他者に対して欠けている行いであり、最もやらなければならないことです。

 

 

そして、最もやらなければならない事を、勇気を持って他者に行うことができ、自然とそれが身に付いた時、神様からのご褒美の様な幸福感がもたらされることでしょう。

 

紫微斗数にはそういう訓えが潜んでいます。

有難いですね。

 

 

自分がされて嫌なことは、人に対してやってはいけない。

当たり前のことですが、これがなかなかやれているようでやれていないんですね。

自分という存在が最も見えにくく、視界に入っていないわけですね。

 

 

一番されたくない事を自分が人に向けてやってしまっている可能性を、どんな立場のどんな人であっても、常日頃から心に留めておいたほうが良さそうですね。

 

広告

一つ、勉強になった。

皆様こんにちわ。

 

 

体調の事でご迷惑をお掛けしております。

申し訳ありません。

ご心配下さりメールを下さった方々、有難うございます。

 

 

 

一回だけ服用しすぐに薬を止めましたので副作用は治まりました。

 

ご参考までに、私が副作用を覚えたのはバルトレックスという、帯状疱疹には効果的であるというメジャーなものです。

稀に強い副作用が出ることがある、という事らしいのですが、その『稀』に当たってしまったようです。

あくまでも『稀』だそうですから、殆どの方はそこまで強い副作用が出ることは無いのだと思います。

 

 

 

他の薬に変えたところで成分的には同じようなものであり、副作用は出るだろうとのこと。

加えて、現時点では帯状疱疹の範囲が拡大する気配は見られません。

とりあえず今は投薬はせず厳重観察し(毎日患部をチェックするよう言われました)、もしも神経に沿って疱疹が増えてきたり、痛みが酷い場合は対応を考える、との判断を頂きました。

 

 

疱疹が治っても神経の痛み(神経痛)が後遺症として現れることもあるとのこと。

厄介です。

 

 

一応、痛み止めを飲んではいるものの痛みの度合いは変わりなく、神経に沿った箇所の痛みが拡がってきていることは否めませんが、「痛てて…」くらいのものですから、有難いことに今のところは通常営業をさせて頂けております。

幸い、身の置き所が無いような痛みは感じておりません。

 

 

 

 

 

ところで、今回の事で一つ勉強になったことがあります。

 

 

それは、こういう星廻りの時はこういう事も生じることがある、ということが分かったことです。

 

 

勿論、複数の条件が重なってのことですから単純な判断ではないのですが、身をもって勉強することになりました。

「なるほど。」感があります。

 

 

何かのハプニングや痛い思いをするたびに必ず学びとして得るものがあるのは当たり前なのですが、特に私の場合はその傾向が明確だと感じております。

 

 

 

そして、強い副作用で意識が朦朧とし、このまま死ぬか?と思ったのを打ち消したのが、頭の中に在る私の命盤です。

 

(確実に病気は出る、しかしまだお迎えのタイミングじゃない。そうか、こう来たか。)

 

 

 

自分の為に占いを生業にしているのではありませんが、今回は直接的に自分にとって占い師で良かったと初めて思うことになりました。

動けなくなり、朦朧としていながらも頭の中の命盤で判断し、うろたえることなく冷静に判断することが出来ました。

 

 

 

この度の出来事は、色んな意味合いを持つ学びとして頂いているのだと実感しております。

 

 

 

帯状疱疹の方は投薬治療が出来ないので暫く付き合っていくことになりそうですが、それはそれとして体調に無理のない程度で日々の営業をしてまいります所存でございます。

 

何卒ご理解いただけましたら幸いです。

どっちも自分。

皆様こんにちは。

台風上陸でございますね。
どなた様も通勤通学の行き帰り、どうぞお気をつけて頂きたく存じます。

 

 

台風と言えば。

 

 

自分にとって台風みたいな人だと感じること、或は心の中に暴風雨が吹き荒れること、ありませんか。

 

紫微斗数の命盤にはその人の宿題とされる星があります。
これは必ずすべての人に存在しています。

 

この宿題は、その人にとって極めて困難で、最もその人を苦しめるものであるのと同時に、その経験からしか得られない貴重なギフトの引換券でもあります。

 

この宿題は、自分の為にやっている以上一生終わらない宿題です。
なのにこの宿題に関する事柄は、どうしても自分の思い通りにしたいという執着が手放せない事柄になっています。

 

宿題をクリアするためには、『自分の為』を放棄すること、それしかありません。

 

『あなたの思い通りには決して成り得ません』
これが宿題の示すことです。

 

最も自分がこだわっていて、最もどうにか自分の思い通りにしたいと思っていることが、実は『絶対に思い通りにならないこと』として授かっています。

 

もう一度申し上げますが、全ての人がそうなっています。

 

 

一番こだわってしまう事柄は、自分にとって一番苦手な事柄でもあります。

宿題星は命盤上にずーっと存在し続けますから、一生ついて回ります。
苦手な宿題をクリアしても、得意科目にはならないわけです。
どうにかやっとこさクリアする宿題です。

 

 

運気というものがありますが、運気によって星が巡ってきます。
調子のよい星が巡ってくるときは追い風、影の多い星や荒っぽい星が巡ってくるときは、向かい風です。

 

 

宿題星は、自分を鍛えるためにあります。
根っこから鍛えてしっかりとした心の芯を形成させる為にあります。

その宿題星も、時々運気と共に巡ってきます。
人によって影響の度合いは異なりますが、概して楽じゃありません。

 

 

命盤上には12個の部屋があります。
星たちが入っている部屋です。
その12個の部屋を一つずつ順番に私たちは移動しています。

 

もし宿題星の影響が強い部屋が巡ってきたら、自分が常日頃ずっと「思い通りにならない」と嘆いて文句を言っているその対象、その事柄を、自分自身が周囲に対して同じことをやってしまっていることになります。

攻守交替だと申し上げればわかりやすいでしょうか。

自分が普段は『守備(=攻められる側)』なのですが、宿題星が入っている運気が巡ってきたとき、『攻撃(=相手を攻める)』側になるのです。

 

一番自分が嫌だと思っていることや人物と同じことを、自分がまんまとやってしまっているという『事実』。

 

おっそろしいこと、この上なしですね。

 

 

人は自分の鏡である、と昔から言われていますが、紫微斗数の命盤を見てもそれがはっきりわかるようになっています。

自分自身が攻撃しない=求めない、ことをしない限り、何度でも同じことを相手からされてしまう、つまり、宿題は終わらないということになります。

 

 

 

宿題星が付いている個所にもよりますが、自分自身や自分の一部(仕事・お金・健康・精神・家庭)に付いている場合は、どんなに不平不満を言っても、自分自身がその元凶であることが言えます。

 

ですから、まず自分を慎みましょう、ということが命盤から教えられるわけです。
手厳しいですね。

 

 

反対に、自分以外を表すところに宿題星がついている人は、もともと自分が不平不満の元凶ではないにしても、運気でその星が巡ってきているときは、同じことを周囲に対しておこなっていますから、この場合も慎まねばなりませんね。

 

 

負の星や宿題星のある場所は、気圧が低いと思ってください。
低気圧があれば、かならず高気圧があります。
高気圧はつまり、状態の良い星です。
ものごとは全てバランスです。

 

 

気圧の低い負の星や宿題星が巡っているから、或は自分自身を表すところにそれが付いているからといって、嘆く必要は全くありません。
なぜなら、その気圧の低い場所へ向かって周囲の高気圧からどんどんプラスの気が入ってくるようになっているからです。

 

負の星しかない人はこの世に存在しません。
どれだけ状態のよろしくない命盤でも、良い星があり、その助けを得ているのです。

 

不平や不満が絶えないのは、それに気づかないままでいらっしゃるからです。
苦しい時や辛くてどうしようもない時、自分を苦しめている事柄にだけ心が集中しがちです。

余裕がなくなります。
人はそういうもんです。

 

 

けれども少し落ち着いたら、自分が低気圧を起こしている張本人である時が必ずある、ということを思い出しましょう。

そしてそれと同じとき、高気圧に居る周囲の人たちが自分に愛情を注いでくれたり、守ってくれたり、理解して寄り添ってくれたりしていたことを思い出しましょう。

 

 

 

紫微斗数の命盤は学問的にも面白いですが、人生哲学そのものがそこにあります。

 

 

あなたの宿題の対象は、あなた自身かもしれません。
あなた以外かもしれません。

 

 

もしあなた以外に宿題星が付いているのであれば、低気圧の星を背負ってくれているその人に、感謝してください。

 

 

その人こそが、あなたがもっとも尽くすべき人のはずです。

 

 

 

 

護る人、護られる人。

皆様こんにちは。

昨晩、自宅の自分の部屋で転倒し左前腕を打撲しました。
DVDレコーダーといい、打撲といい、2夜連続で踏んだり蹴ったりです

 

 

今月19日(旧正月)から2015年運気がスタートするので、厳密に申し上げますと今はまだ2014年運気にございます。

わたくしの2014年運気は、出費や災難や怪我や病気や身内トラブルや対人問題など盛りだくさん。
大限・年運ともに本命盤と重なる星回りが集中しております。

つまり、事故・怪我・病気・対人問題・災難に愛された生来のわたくを象徴する出来事が発生する兆し有りという2014年で、生来、自ら動くと必ずトラブルになるという自身の星を自覚しつつ、慎み深く余計なことはせずじーっとしておりましたので、小難で済みました。

 

駆け込み需要のようなここ2夜ですが…。
あと2日無事に過ごせますように(笑)。

 

 

 

 

物心ついた時から、自分は必ず怪我をしたり、病気をしたり、人からやっかまれたり、事故に遭ったりするのが当たり前だと思って生きて参りました。

 

道を歩いていれば車は突っ込んでくるもんだと思っています。
頭上から物が落ちてくるもんだと思っています。
みんなと一緒に同じ道を歩いていても、私だけ穴に落ちたり何かがぶつかってくるもんだと思っています。
走るだけで脱臼したり、体操したら骨折するもんだと思っています。
普通に生活をしていても、入院したり手術したり、病気ってのは必ず勝手に出てくるもんだと思っています。

 

これらすべて『私の常識』で、私の人生の当たり前なこととして、そういうもんだと思っています。
それを悲観することもないですし、ただそういうもんだと捉えています。

 

 

そんな私が幼少期より、しょっちゅう誰かに妬まれる対象になることに関しては、少なくともその人からは、私が災難に愛されているようには見えていないという事ですし、それどころかとても恵まれているように見えているのだと思いますし、それは確かにそうだと思ってますし、それはそれで良かったかな、と。

 

 

何事も起こらないことが奇跡である。
病気せず、怪我もせず、事故にも遭わず、何事もなく1年が終わるなんて、私の人生においては奇跡だと思っております。

 

災難は有って当たり前。
無ければ奇跡。

 

私の持論です(笑)。

 

 

 

事実、私の命盤は酷いもんです。
お世辞にも「あら、あなた幸運ね~!」とは思われないものです。
強い災難を表す大凶星たちは、私自身を表す箇所に集中しています。

 

けれどもそんな私が今こうして、少々愚痴りながら(笑)も楽しく充実した幸福な日々を送れているのは、私以外を表す箇所に吉星が集中していて、常にそのご縁たちから私は支えられ、護られているからです。

精神や価値観を表すとされる福徳宮に大吉星が坐していることも関係しています。
この福徳宮を見ると、悲壮感ゼロです。

 

 

これはつまり、
『自分の人生は災難だらけでも、周囲の善き人たちのご縁により護られ、私自身は精神の向上をひたすらに目指すことができ、精神性が自分にとって最高の財産となる』、
という事になります。

 

 

自分の身に起こることだけに注目すれば、次々に起こる災難に嘆き、挫折に涙し、絶望の谷底へ自ら身を投じることでしょう。

 

 

しっかり周りを見なさい。
身に起こる出来事に振り回される必要はありません。
そこに捉われていたら、あなたは一生悲観し続けて死んでいきます。
視野を広く、視点を変え、そこで見えてきたものに感謝し、大切にしなさい。
そうすれば、あなたがどれだけ周囲のご縁にしっかりと護られているかがわかるでしょう。

と、私は自分の命盤から教えてもらっているように感じます。

 

 

 

 

護られている人、護る人、どちらにしても双方へ感謝を持つべきでしょう。
護ってくれているご縁が自分とどのような関係性であるか、問題ではありません。
身内であろうが他人様であろうが、関係ありません。

 

 

 

「無い」と嘆くのは簡単ですが、その先に幸福は絶対にやって来ません。
「無い」人は一人も居ないはずです。
今「在る」ことをまず探してみてください。
自分の中のこだわりを疑い、「在る」ことに気づけば、幸福はいつも自分と共にあるはずです。

 

 

後半生で激変する人生もある。

皆様こんにちは。

東京方面は降雪の予報が出ているようですね。
雪に慣れていないと転倒したりすることも多いでしょうから、お住まいの方々はどうぞお気をつけてお過ごしくださいませ。

 

 

 

さて。

珍しく占いに関する記事です(笑)。

 

昨年から継続して、台湾から取り寄せて頂いた書籍を読んで勉強しているのですが、今読んでおります本に、「うん、確かに!」と心躍る記述が多数ございまして。

 

 

 

紫微斗数占術には、命宮と身宮というものがございます。
身宮についての詳細が記述されている書籍は日本には無いんじゃないかと思います。
さらっと書かれている程度です。

 

台湾の書籍、さすがです。
なるほど~、だらけです。

 

出生時刻により、身宮がどの個別宮に該当するか異なるのですが、共通しているのは身宮は後半生に影響を及ぼす、ということです。
後半生とは、35歳前後以降を指します。

 

身宮は、特定の個別宮すなわち、命宮(自身・総合運)、夫妻宮(配偶者運)、財帛宮(金運)、官禄宮(仕事運)、遷移宮(外交運)、福徳宮(精神・価値観)のいずれかと必ず一致します。

 

そして、命宮の状態と身宮の状態の差が大きい人ほど、その人生が35歳前後を境に、よりドラマチックな展開になると言えます。

 

命宮が強、身宮が弱の場合
→ 若いうちに伸びしろが用意されているので35歳までの積み重ねが重要で、それ以降は向かい風を感じながらも謙虚に生きることが大切。(竜頭蛇尾に嘆くことの無いよう)

命宮が弱、身宮が強の場合
→ 若いうちは苦労が多く伸び悩むが、35歳から発展のチャンスが来る。(大器晩成)

命宮=身宮ではないが、双方の宮の力量に大差はない場合
→ 個性や思考は変化してゆくが前半生と後半生を比較しても激しい浮沈の差が生じることはない、

命宮が身宮を兼ねる場合
→ 誠実な人が多く、生涯通じて本人の個性変化は少なく自分のルールで生きていく、

というベースがあります。

 

 

これら大まかな4パターンの中で、最も幸運に見えるのは二つ目の『命宮弱・身宮強』ですが、決して楽ではありません。
このパターンを持っている人は、前半生に大変苦しい時期を過ごすことになります。
そこで腐ってしまえば、後半生の飛躍をみすみす逃すことになります。
苦しい前半生をどうにか耐えて乗り切った人が、やっとの思いで辿り着く後半生の発展期だということを無視してはいけないと思います。

 

『命宮強・身宮弱』の方は、後半生に入ると色んなことが上手くいかないと感じられるようになりますから、若い時に順調だった人ほど「こんなはずじゃない・良かった時が忘れられない」と嘆くことの無いよう、気を引き締めて生きてゆく必要があります。

 

良いことも悪いことも必ず終わるときがくる。
それを忘れないようにしたいものです。

 

 

 

また、どの個別宮が身宮に該当するか、且つ、そこに坐する星の種類と状態如何により、その人の考え方やこだわりも様々です。

 

 

例えば夫妻宮が身宮に該当する人の場合は、家庭や結婚生活、配偶者に対しての想い入れが強くなります。
家庭が上手くいっているか、パートナーから愛されているか(自分が愛しているではなくあくまでも愛を受けたいという想い入れ)、などがその人にとっての最重要事項になります。

 

星が良い状態ならば善き伴侶と善き関係を持つことになりますし、星の状態が悪ければ恋愛や婚姻において一筋縄ではいかず、困難や挫折を味わうことになります。
そういう方は夫婦や家庭に対して想い入れが強い分、当人様は大変辛い思いを抱えて生きることになられます。

 

けれども、身宮の状態が悪くても『六夾身吉』という特定の吉星に助けられる場合もあります。
その反対に、身宮の状態が良くても『三夾身凶』という特定の凶星により難がある場合もあるのですが…。

 

 

 

 

35歳前後からの後半生が、それまでの前半生と最も大きく変化するのは、身宮が遷移宮(外交運)の人です。

遷移宮が身宮になる人は、5時台、6時台、17時台、18時台生まれの人です。
(生誕地域により実際の出生時刻と標準時との時差が生じますので、時差を差引して上記の時間帯になる人です)

これらの人は、人生において大きな運命変化が起こります。
そしてその変化は、命宮・身宮のバランス(強弱・星)により様々ですが、全く縁の無かった土地(地域)との関わりが生じ、そこで多様な人縁が生まれ、ゆっくりした生活とは無縁の多忙を極める人生になってゆく、ということは共通しています。

 

その現象が当人にとって大きな喜びとなるか、はたまた試練となるかは、先述の命宮・身宮のバランス次第だという事になります。

 

 

 

 

紫微斗数占術は、人生の課題を教えてくれる占術でもあり、同時に、人生においての『何故?』を解くためのヒントが隠されているツールでもあります。
勉強しているわたくしとしましては、興味が尽きず深く納得することばかりです。

 

 

 

 

平坦ではない人生にこそ、そこに用意された経験からしか得られない学びや感動があります。

 

 

涙を流しながらでも腐らず、歯を食いしばって乗り越えた人に、ご褒美のような後半生が待っていることも少なからずあります。

順風満帆で前半生を送れた人には、周囲の方々にご奉仕と恩返しの後半生が用意されているかもしれません。
恩返しの機会が与えられるというのは、それはそれで有難いことなんです。
悲観せず粛々と受け止められることをお勧めします。

 

 

良きことが無い人生など一つもありません。
苦しみが無い人生も一つとしてありません。

 

命盤がそれを教えてくれます。

 

 

皆様の身宮はどうなっているでしょうか。
ひょっとしたら、人生の大変化が身宮に隠されているかもしれませんよ。

 

 

 

赤点+1点。

皆様こんにちは。

本日大阪は雨
冬の冷たい雨です。

今朝は朝一番で歯医者へ行き、定期検査とクリーニングを受けて参りました。
口の中スッキリして気持ちがいいです。

 

☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*

 

以前、『即答できますか?』の記事で、幸せについて書かせて頂きましたが、結構反響がありました。

 

そもそも、人はなぜ幸せになりたいと思っているのでしょうか。
まず、今が幸せじゃないと思っているとしたら、それは何故でしょうか。

幸せじゃないと感じているならば、いまの自分に対して、何が幸せじゃないと感じさせているのかを考えてみましょう。

 

 

男性の感じ方と女性の感じ方にも違いはあります。
その人の生活環境によっても異なります。

 

自分を幸せじゃないと感じさせているのは、家庭なのか、仕事なのか、恋愛なのか、経済力なのか、友人関係なのか。

 

評価されていないしチャンスが巡ってこないから、満たされない。
頑張ってもいい結果が出なかったから、満たされない。
家族の世話を毎日毎日してるのに誰からも感謝されないから、満たされない。
大好きな恋人だったのに連絡が途絶えてしまって寂しいから、満たされない。
ちゃんとまじめに働いているのに全然収入が上がらなくて切り詰めているから、満たされない。

・・・・などなど。

 

一見、「幸せじゃない」感は千差万別のように見えます。
しかし、たった一つだけそのすべてに共通することがあります。

 

 

それは、自分自身、です。
満たされていないと感じている『自分』です。

 

 

とことん突き詰めていくと、幸せじゃない、満たされないと感じているのは自分自身であり、感じさせているのは、正真正銘、自らの心だということに辿り着きます。

 

満たされないと感じるきっかけを与えるのは他者などの外的要因であっても、その事柄について満たされない気持ちを発生させているのは、自分自身ということになります。

 

 

 

では、そういう満たされない感覚、即ち、自分の中から発生している渇望感はいったいどこから発生しているのでしょうか。

 

 

それを知るのに有効なツールの一つが、紫微斗数占術です。

 

紫微斗数は大変ドライな命理学です。

鑑定に於いて、お客様にとって耳触りの良い事ばかりをお話することはありません。
お客様ご自身にとっては嬉しくないこともお話します。

 

一人一人が持っている命盤が示す事柄、その中でも自分にとって最も深い闇である部分を認識し受け入れるのは、かなりのダメージが伴うこともあります。
鑑定をお受けになる方にとって、決して楽な作業ではありません。

 

ですから、ごく稀にですが「わかっているけど絶対にそれを認めて受け入れたくない!」という方もいらっしゃいますが、そのお気持ちもよくわかります。
そりゃそうでしょう、と思います。

 

しかしながらその一方で「色んなことがスッキリしました!」と仰る方が、圧倒的に多くいらっしゃいます。
決して楽なことでは無いはずなのに、これはいったいどういうことでしょうか。

 

 

 

恐らくですが、ご本人様が日頃認識していない『渇望の種』を知ったからだと思います。
上手くいかない、満たされないと感じる理由が何だったのかを知ることは、自分の負を知るという事です。

 

自分の負は、云わば人生の宿題です。

 

その宿題が何なのかさえ分からない間は、ひたすらに苦しくなります。
渇望感は留まるところを知らず、もっともっと満たされたいと思い続けます。

 

 

この人生の宿題は、百点である必要はありません。
赤点じゃなきゃいいんです。
百点を目指すべきものではないと言った方が正解でしょう。

 

 

でも実はその宿題は自分の中で一番、
百点じゃないと我慢できない」と『感じさせる』科目であり、
その時点では零点であること」を『認めたくない』科目なのです。

 

だから苦しくてたまらないのです。

 

 

人生の宿題は、平均点をとることすらも不可能です。
平均点とは、言ってみれば世間一般のレベルで、『自分が勝手に合格点だと思い込んでいる』レベルです。

 

 

零点であることに気づかない、零点であることから目を逸らしている間は、永遠に零点のまま。
しかも、ずーっとずーっと心の奥の方に残り続けます。

 

けれども、宿題を認識し、自分が零点であることを認めたら、その時点で宿題の8割は片付いています。
赤点より1点でも加算して取れれば、宿題は完了するのです。

 

 

「絶対に平均点以上取らないと、私は幸せじゃないんだ!」
という思い込みが、一番自分を苦しめます。

どう頑張っても、厳しすぎる人生の宿題で、百点も平均点も取れないのが当たり前で、だからこその宿題なんです。

 

 

元は零点からスタートしたこと。
赤点+1点さえあれば、じゅうぶん上出来なんだと知ることが大切なんです。
落第を免れたらそれでいいんです。

 

だって、それ以外の科目では、どなたもちゃんと合格点をマークしているんですから。

 

 

たった一つの零点を、赤点+1点にすることで合格点に達し、めでたく進級できるのです。
それが、新たなステージ、人生の始まりです。

 

 

 

 

 

百点や平均点を目指す限り、永遠に零点のままである事柄が一つ、全ての人の人生に用意されています。

 

 

鑑定をお受けになり、ご自身にとって厳しいこともお聞きになったにも拘らず、スッキリした!と感じた方々は全て、その宿題を知り、受け入れ、零点から赤点+1点にすることが出来た方々です。

 

 

 

 

 

自分を苦しめている「満たされない感覚」、渇望感。
紫微斗数による鑑定を体験してみることにより、その渇望感から解放された方が大勢いらっしゃいます。

 

 

 

苦しみの種を受け入れることは非常に厳しく容赦ないものですが、渇望感から解放され宿題を克服したいという勇気ある一歩を踏み出そうという方、心よりお待ちしております。

 

 

史津香。

 

ご縁も入れ替わる。

皆様こんにちは。

こちら大阪は明日から急激に真冬の寒気が始まるようですね。
どなたさまもご自愛くださいますよう。

 

気付けば早、年の瀬。
来年の事をそろそろ聞いておきたいというご希望のお客様方が多くなりました。
そういう時期でございますね。

毎年12月、1月、2月はご来店のお客様が多数になり、当日のお申し込みを承るのが難しくなることが予想されます。

特に、土曜日と、平日夕方17時以降のご来店をご希望のお客様は、どうぞお早めにお申し込み下さいませ。
既に年内の土曜日はご予約が詰まってきております。

*年末年始は、12月30日~1月4日まで休業です。

 

 

 

さて、本日より師走ですが、わたくしにとって今年はご縁がかなり動いております。
私の星回りがそういうタイミングなので、勿論「だよね。」的な感覚で過ごしております。

 

どのような趣でご縁が動くのかは星回りによって異なります。

 

例えば『疎遠になる人が出てくる』という星回りが来ているとします。
この場合、当人と相手のどちらにその原因やきっかけが潜んでいるのかは、巡っている星で推察することはできます。
しかし、実際にその現象が発生して初めて、「あぁ、この人だったんだな。」と確認することになります。

 

例えば、友人なのか、同僚なのか、上司なのか、恋人なのか、配偶者なのか、そういうカテゴリに関しては星回りで現れるのですが、固有名詞まではわかりません。
命理学は魔法でもなければ、超能力でもありませんので。
四柱推命も紫微斗数推命も、推察の『推』です。

 

 

私個人的には、全てが分かることが良いことだとは全く思いません。
おおよその流れを把握するくらいがちょうどいいと思っています。

 

もし今後の全てを完全に知ることが出来てしまったら、人生はとてもつまらないものになるでしょう。

 

○○さんとは〇年〇月〇日に揉めて縁が離れる、と予め分かっていたとしたら、その出会いとご縁に対して物悲しい気持ちを持ちながら関わることになるんじゃないでしょうか。
ご縁があるうちは、めいっぱい誠意を持って向き合い関わる方が、きっとそのご縁から学ぶことは多いのではないかと思います。

 

 

 

離れるご縁があるという事は、入ってくるご縁も必ずあります。
意外な人と疎遠になったら、また意外な人とのご縁も入ってきます。
次のご縁が控えているから、卒業するご縁が出てくるんだと思います。

 

 

絶対に離れないというご縁はありません。
いつか必ず離れるもの、それがご縁です。

 

家族であってもお友達であっても恋人であっても、いつか必ずサヨナラをする時がやってきます。
それでも、また新たなご縁が向うからやって来るもの。

 

ご縁は離れる前提でやって来るにも拘らず、どうしたことか出会いは必ずやって来ます。
会うは別れの始めと云われますが、別れもまた会うの始めだと思います。

 

 

 

入ってくるご縁は、その時に自分に必要だから授かったご縁です。
しかも入ってくるご縁は選びようがありません。
自分が好む好まざるに関係なく、その時の自分に何かしらの学びを与えてくれるからこそ、向うからやって来るものです。

 

 

 

運勢的に見て、ご縁が入れ替わるタイミングは人それぞれにございます。

 

生来、目まぐるしくご縁が入れ替わる方も多くいらっしゃいますし、普段は割と固定したご縁でも、ある一時期にごっそり入れ替わるというパターンをお持ちの方もあります。

 

いずれにしてもご縁の入れ替わりは必要だからこそ起こることなので、流れのままに身を委ねていたほうが良いでしょう。

 

 

 

反対に、どうしても動かしたい、離れたい環境であるにも拘わらず、足元をセメントで固められたように身動きが取れない運気に遭遇することもございます。
これは大変に苦しいことです。

 

どういうわけか思うように物事が進まず、不遇にあえぎながらもただ耐えることしか出来ない状況に置かれることは、本当に苦しいことです。
苦行と言ってもいいでしょう。
そういう時は、周囲を見る余裕はありません。
どうして自分だけこんなにも苦しいのだろうと、奥歯を噛みしめ涙する日々です。

 

しかしこれもご縁の一つであることを覚えておいていただきたいのです。

 

環境も仕事もご縁です。
必要なないご縁など、端からやって来ません。
必要だから嬉しくないご縁も苦しいご縁もやって来るのです。

修行としてのご縁であり、その苦しみを経なければ得られない心、喜び、感謝があるからです。

 

 

今にあえいでいらっしゃる方にとって、一日一日はひどく長く感じられ、朝が来ることさえも妬ましくなります。
けれども必ず時は前にのみ進み、状況が変わる時がやって来ます。

 

変化した環境も、結局はご縁です。
人との関わりだけがご縁ではありません。

環境も組織も社会も、全て一人一人の複雑なご縁の絡みの集合体であり、意識はしないけれども、縁があるからそこに居るわけです。
その場所でやらねばならない役割があるからでもありますが、もっと言えば、その状況下でしか体得できない新たな自分や、捨てるべき心のあり方が自分の中にあるからこそです。

 

我慢も辛抱も努力もなしで安易に投げ出すことは賛成しかねますが、あまりにも理不尽でどうしてもどうしても耐えがたく、このままそこに居たら死んでしまうというくらい苦しければ、今すぐに逃げ出すことも放棄することも良いと思います。

その選択が間違っていなければ、間をあけず清々しい風の吹く環境へ導かれるはずです。
それが新しいご縁となるはずです。

 

そしてそのご縁を得た時、きっとそれまでの自分では気づかなかった感謝や喜びを感じることでしょう。
当たり前のように物事が進むことを、とても有難く幸福に感じることが出来るでしょう。
苦しみの最中、自分しか見えていなかったあの時の自分を、周囲の人が心を痛めて見守っていてくれたことに気づけることでしょう。

 

 

ご縁が目に見える形で入れ替わるタイミングは人それぞれですが、その都度、喜びも悲しみも授けてくださるのがご縁です。

 

 

そこに気づいて生きている人は、自ら善きご縁を多く引き寄せていらっしゃいますし、難儀なご縁は長続きせず離れていきます。
生別でご縁が入れ替わることは嘆くべきことではなく、むしろ新たなご縁を得るために、そして自らを鍛え成長させるために不可欠な出来事だと思います。