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あなたを縛るもの。

皆様こんにちは。

すっかり秋です。

私はすでに風邪をひいてしまいましたが、皆様はどうぞご自愛くださいませ。

 

 

 

さて今回のテーマですが、「あなたを縛るもの」です。

 

私たちは日々の生活の中で様々な制限を受けて生きています。

それは、社会の秩序を保つためにある程度必要なことであると思います。

 

 

けれどもよくよく考えてみると、幼い子供など、庇護されなくては生きていけない場合を除き、大人になればどなたにも選択する自由を持つことができます。

 

何を守っているのかわからないけど、保守的な考えを持つ人は少なくありません。

その人自身が何を守っているかわからないんですね。

 

 

失敗したくない、みんなと同じことをしていればきっと痛い目に遭わないはず、などという「安全神話」や「ありもしない平均の妄信」を頑なに守っているに過ぎません。

 

 

生まれてから死ぬまでに、ハプニングを経験しない人は居ません。

必ず何らかの事態に遭遇するものです。

 

 

 

保守的な自分というのは、いわば「引き算の生き方」なのではないでしょうか。

「今までこれをやってきたから、これしかできない。」

「やったことが無いからやりたくない。」

つまり、今ある枠の中だけで事を済ませようとする発想です。

 

 

人は必ず成長し続けることができます。

 

人とかかわり、交流し、時に自分の考えの甘さや至らなさを反省する、そのために考えの異なる様々な人たちと関わって生きていかねばならないのだと思います。

 

けれども極端に保守的な人は、「変えない前提」で物事を進めようとします。

 

それは言い換えると、「私は変えないからみんなが私に合わせてね。」と要求していることになります。

これって、結構危ないですよね。

 

 

自分に都合よく環境や人が動いてくれることなどありません。

自分は何も変わっていないから誰にも迷惑をかけていない、と思うかもしれません。

 

でも本当にそうでしょうか。

 

 

「変わりたくない」と思っている自分のために、周りが自分に合わせて、折れてくれているとしたらどうでしょう。

 

最も自分が嫌だと思っている「変わること」を、他者に強いてさせていることになりませんか?

 

自分が強いられて嫌なことは、人にもしてはいけませんよね。

 

 

 

人には可能性というものが備わっています。

どんな人にも可能性があり、お役目があります。

 

保守的な人が幸福になるために一番大切なことは、冒険心とワクワクする好奇心です。

 

 

心がウキウキしているその瞬間を否定せず、そこに素直に行動してみましょう。

自分一人では決して見ることができなかった景色や、あらゆる面白いこと、感動が待っています。

 

 

未知の事への恐れが自分を縛っています。

過去の経験に倣うことは人として大切なことですが、それだけでは壁にぶち当たってしまいます。

これまでの経験で培ってきた価値観が全否定される経験も、人生のとある時期に遭遇します。

そういう時にやるべきことは、自分が正しいと思っていることを疑うことです。

 

 

 

物事はバランスです。

自分の意見を通そうとすればするほど、意地を張れば張るほど、相手からの圧力は増大します。

 

相手が変わることを願うのなら、自分が考えを変えること、対応を変えるしかないのです。

 

 

 

善悪と勝ち負けだけで測れるほど、世の中はわかりやすくできていません。

変われないのではなく、変わりたくないというエゴが自分を縛っているのです。

 

 

出来ないと決めつけず、増やせばいい、という足し算の発想で生きてみましょう。

その先には、多少の苦労はあるかもしれませんが、一歩進んだからこそ出会えるご縁や面白いことがたくさんあります。

 

 

引き算の人生を卒業し、足し算の人生を謳歌してくださいね。

 

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寂しいのは生まれつき。

皆様こんにちは。

 

秋めいてまいりましたね。

夕方になると虫の声が聴こえます。

風情があります。

 

 

秋になると人恋しくなる、と昔から言われておりますが皆様は如何でしょうか。

 

 

家族が居ないから寂しい、

恋人が居ないから寂しい、

友達が居ないから寂しい、

職場で信頼できる人がいないから寂しい、

などなど色々な寂しいがあると思います。

 

でも、

 

家族が居て、恋人が居て、友達が居て、学校や職場でみんなとそこそこうまくやっている、

なのに、寂しいと感じる場合があります。

 
○○が居ないから寂しい、ということなら分かりやすいのですが、居ても寂しいとしたら一体その理由は何なのでしょう。

 

 

実は、人は生まれつき寂しいと感じるように出来ているから、なのです。

 

 

生育環境により、孤独や寂しさを感じる度合いの差は確かにあります。

けれども、もともと人間は孤独に生まれついているのです。

 

 

孤独を埋めようと頑張って、誰かと繋がろうとすればするほど、何故か孤独のスペースは大きく膨らんでいきます。

 

自分の中にある孤独や寂しさや空虚感は、誰かが居るから埋まるものではありません。

その誰かとの縁が離れたら、それまで以上の寂しさに襲われます。

 

 

人は、生まれて死ぬまでの間、多くの出会いと別れを経験します。

それはとても自然なことで、たとえそれが家族であったとしても、別れはやってきます。

 

 

誰かが居るから寂しくないのではなく、誰もいないから寂しいのでもなく、誰が居ても居なくても、孤独や寂しさから逃れることは、人として生きている以上避けようがないことなのです。

 

 

永遠に孤独や寂しさを感じなくて済むような人生は一つもないでしょう。

 

でもだからこそ、みんなそういう想いを心の中に潜めながら日々を暮らしている、ということに目を向けましょう。

 

 

寂しさを知ること、孤独を知ることは、とてつもなく辛いことですが、その痛みや苦しさは誰のものとも代替できることはなく、自分自身のものでしかありえません。

 

 

最終的な真の理解者、絶対的に心を空洞を埋めてくれる存在は、自分自身しかありえないということになります。

 

 

 

寂しさや孤独感をこじらせると、対人関係に様々な影響が生じます。

 

人に意地悪なことを言ったり、おこなったり、幸福そうに見える人を見ては妬ましく感じて、我が身のままならない状況を恨んだりします。

 

そんなことをしていても何の解決にもならないどころか、むしろ負のエネルギーを自分の中でどんどん育ててしまい、制御不能な自分を作り上げてしまいます。

 

 

 

『生まれてから死ぬまで、寂しくて孤独なのが人間である。』

 

それに気づいて開き直ったとき、はじめて寂しさと孤独から解放されます。

 

 

 

寂しいのはお互い様。

 

そう思って周りを見渡してみてください。

 

 

そしたら、それでも笑顔で暮らしている人たちがそこに居るはずです。

 

今年もよろしくお願い致します。

明けましておめでとうございます。

旧年中もたくさんの方々に当ブログを読んで頂き、心より感謝申し上げます。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

 

 

 

さて本日1月3日でお正月休みも終了で明日から通常の営業となります。

*4日~6日は既に満席となっております。沢山のお申し込み有難うございます。

 

 

 

開店以来、初めてゆっくりする時間を過ごすお正月となりました。

有難いことです。

 

 

 

 

大晦日は、年越しうどんを食べながらガキ使を見ていて思わずうどんを吹きましたチュー

今回は山菜+山かけ。

ゆく年くる年カマボコ、毎年楽しみで今回のわんこも可愛い。

お客様から沢山いただいた柚子もそえて。

Kさま、いつも有難うございます。

美味しく頂いております。

 

 

 

今回の大晦日も彼氏が来て、うどんをズルズルすすりつつ年が明けました。

 

 

 

 

元日。

 

 

今年のお雑煮はご汁ベース。

ご汁とは大豆をすりつぶした粉をお味噌汁に入れたもの。

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お客様からプレゼントして頂いた、可愛すぎるうさこの箸置き。

何年であろうが我が家はうさこです。

 

 

 

夕刻~夜は彼氏がまた来訪し、ようやくお節おせちをオープン。

これまたお客様から頂いた鎌倉ハムも。

もう、美味しすぎます…。

K様、本当にいつも有難うございます。

ご馳走さまです。

 

数の子、イクラ、たらこは札幌の親戚から送られてきました。

 

 

 

夕刻に彼氏が来訪→お節減らしの主たる要員。

お雑煮でお餅鏡餅を4個軽く平らげ、白米もお節もしっかり食べ、その後しっかりおやつも食べる人。

 

 

 

夜は撮り溜めしている番組を見て穏やかに過ごしました。

 

 

 

 

1月2日。

 

 

Tちゃんはお仕事の為不参加でしたが、いつものメンバーで初詣へ。

今年も西宮神社絵馬です。

毎年福男が猛ダッシュするあの神社です。

ちょうど、弓の奉納が行われていました。

厳かな雰囲気に立ち会うことが出来ました。

新年早々、幸先が良いです。

 

 

2017年を無事に一年過ごすことが出来たことの感謝と、2018年を皆が健康で穏やかに過ごせるよう願いました。

 

 

参拝後、ここで必ず買うと決めている『三宝屋』のベビーカステラを購入。

父、彼氏、私の三人であっという間になくなりました。

 

 

 

西宮神社を出て、阪急西宮ガーデンズへ、ランチとショッピングに向かいました。

 

 

パパイヤリーフというお店で、

ガパオライスと生春巻きのセット。

辛いけど美味しかったです。

スパイス効果で体もぽかぽか。

 

 

 

カルディがオープンしているとのことで、コーヒーと紅茶を買いに寄りました。

カルディはついつい長居したくなります。

あれこれ見てるだけでも楽しくてたまらないです。

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量り売りの豆を中挽きにしてもらい、2種類400gずつ購入。(めっちゃいい香りコーヒー♪)

紅茶は絶対にミルクティ派なので、アールグレイを二箱。(これもいい香りコーヒー♪)

スープリゾットは同行していたお友達Gさんがプレゼントしてくれました。

 

 

 

帰り際、西宮ガーデンズの入り口で、我々一行がお世話になったり親しくさせて頂いている整体のA先生おじいちゃんとばったり遭遇。

一同びっくりで、図らずも新年のご挨拶ができました門松

 

 

 

夕刻から彼氏がまたまた登場し、しっかり食べてくれました。

 

 

 

3日の本日、従姉のTちゃんが仕事明けに来てくれる予定でウキウキです。

お節もお雑煮もTちゃん仕様なので、食べてもらわなくちゃ。

 

 

 

食べてくれる人がいるから作り甲斐があるってものですね。

つくづく思いました。

 

 

 

人は一人では幸せになれない。

自分以外の誰かの笑顔の為に何が出来るか。

その想いを受け入れてくれる人が居て初めて自分も幸せになれる。

自分の欲を満たすだけの行いは独りよがりでつまらない。

 

 

 

去年の年越しは、彼氏が若かりし頃に除夜の鐘を滅多打ちにして坊さんに怒られた話で抱腹絶倒でしたが、今年のお正月は彼氏とそんな話をしていました。

 

 

 

自分がこしらえたものを食べてくれる人がいる、

くだらない話をし合ってゲラゲラ笑える人がいる、

時々大切な事に気付かせてくれる人がいる、

健康で幸福でいて欲しいと心から願える人がいる、

 

幸せって一人じゃ成り立たない。

かといって誰かに求めるものでもない。

 

自分以外の誰かの幸せを願えているその心が幸せ。

 

 

 

今、自分が幸せなお正月にあることに有難い気持ちでいっぱいです。

 

 

 

皆々様にとりまして、健康で充実し、善きお計らいとお導きのある一年となります様、心より願っております。

 

 

 

 

本&言葉。

皆様こんにちわ。

 

木枯らしとビル風が銀杏イチョウの葉を舞わせる今日この頃、風邪予防に努めてマスク着用致しております。

 

 

 

さて本ネタです。

先日購入致しました薬丸岳さんの、

ですが、面白かったです。

『もしも親友だと思っているその人が、かつて世間を震撼させた猟奇的殺人犯の少年だったら』を問う作品です。

この作品の軸は元・少年ではなく、彼を取り巻く人たちの視点になっています。

『Aではない君と』に続き、自分だったらどうするだろう…と考えてしまいます。

 

 

同じ作家さんの作品を買い足しました。

『逃走』は、同作の単行本とはまた異なる展開らしく、《文庫出版のために書き下ろしたとも言える作品》と、後書きにありました。

 

若い男がラーメン店の店主に「どうしてあんたがここに居るんだ!」と殴りかかり、店主は倒れた拍子に頭を強打し絶命し、殴った若い男は救急車を呼んだあと現場から逃走します。

「出頭する前にやらなければならないことがある。」という彼は何のために逃亡するのか。

 

映画向きな作品だと思います。

 

 

同じく薬丸岳さんの『ハードラック』。

今読み始めたところですが、誰にでも起こりうる現代社会の闇を感じます。

これからストーリーがどう展開していくのか興味が沸きます。

 

 

 

同時に桜木柴乃さんの文庫、『ブルース』も買いました。

好きな作家さんの一人です。

『ハードラック』を読み終えたら開こうと思っています。

 

 

 

以前ご紹介した池上彰さんお薦めのベストセラー漫画、『君たちはどう生きるか』。

読み終えました。

考えさせられます。

この作品の内容は、まさにそのタイトル通り「どう生きるか」を読者に強く問いかけるものとなっています。

良書だと思います。

 

 

 

最後に、アメトーーク『読書芸人』企画でカズレーザーさんが好きな本の一冊として紹介なさっていた、『妻に捧げた1778話』。

kindle版で読みました。

1~2時間で読み切りました。

「最終回で何度読んでも泣いてしまう」と仰っていて、光浦靖子さんも「ああ、これはダメだ…」と速攻で涙ぐんでしまわれた一冊。

 

 

筆者さんの奥様が末期がんになられ、余命宣告を受けました。

そして筆者さんが妻を元気づけようと、一日一話ずつお話しを提供する、というもの。

筆者さんが実際に書いたお話しが幾つかと、それにまつわるエッセイも組み込まれています。

 

最終話を読んですぐは私は涙は出なかったのですが、暫く経ってからじーんときまして、涙がにじみました。

 

そこには《愛》がありました。

 

 

 

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ところで余談ですが、ブクログの読書グラフを見ると『ハードラック』を読み終えた時点で、今年になってからちょうど60作品を読んだことになるみたいです。

 

私は一年にだいたい60作品読むのを目安にしています。

月に5冊程度ですから5日で1作品ペースなので大した量じゃないのですが、感性を刺激し思考を衰えさせないためには、私にとっては読書が今のところ一番有効なアイテムになっています。

私は仕事で言葉を使う星を持っていますので、尚更です。

 

 

鑑定内容をお客様に出来るだけ分かりやすく伝えるためには言葉がとても重要になります。

話す言葉と書く言葉。

両方とも大切だと思っています。

 

 

分かりにくい美辞麗句や、意味を尋ねないとわからないカタカナ言葉を並べ立てるのは好きではありません。

そういうのは話し手の自己満足だろうと感じるからです。

 

 

聞き手や読み手の側に立って言葉を選べば、自ずと伝わりやすい言葉になるのではないでしょうか。

 

 

ただ言いたいだけ、ぶつけたいだけの言葉を並べている人の話や文言は、聞いても読んでも疲れてしまいます。

 

 

相手の側に立ててこそ、伝わるものなのだろうと思います。

 

 

かくいう私も上手く伝わってるかどうか、もっと言い様があったのではないかと振り返ることもしばしばです。

 

まだまだこれからも色んな本を読み、より言葉を有効に扱えるよう精進してまいります。

 

好意だからOKではない。

皆様こんにちわ。

 

急激に寒くなって参りました。

お風邪を召されてらっしゃるご様子でマスク着用の方もちらほら。

どなた様もご自愛くださいませ。

 

 

 

さて、これまで折に触れ『執着を手放しましょう』、とお話して参りましたが、執着しているという自覚の無い方も多いようです。

 

物や行為に対する執着は割と自覚しやすいのですが、人に対する執着は殆どの場合が無自覚です。

そして、無自覚だからこそ、たちが悪い。

 

 

 

「この子は私がいつも言ってやらないとだめだから。」

本当にそうでしょうか?

 

 

私が居ないとダメな子であってほしい。

これが本音ではありませんか?

 

 

全てその子の意志と行動で賄えているにも拘らず、自分がその子にとって唯一無二の特別な存在でないと気が済まない、からですよね。

その子が居ないと自分が不安でたまらなくなるから、ですよね。

放っておくことが出来ないのは、その子のせいじゃなく、その子に対する執着です。

 

 

 

また、他者に対する強い憧れから、何かにつけその相手に関わろうとしてしまうのも、執着と言えるでしょう。

 

 

自分からは好意なのだから、喜ばれて感謝されて、全て受け入れられるのが当たり前。

そんな風に思っていないかどうか、自分の心に問うてみると良いでしょう。

 
好意を通り越して執着心を持っていると、相手は必ず自分の事を遠ざけようとします。

求めて求めて止まない相手なのに、追えば追うほど相手の心は自分から離れます。

 

鬱陶しい思われるのが落ちです。

悲しいですね。

 

でもそれは当たり前の事です。

 

 

なぜなら、もはやそれは好意ではなく『重い負の気』を相手に押し付けて我がものに取り込もうとしている状態だからです。

 

 

想像してみましょう。

 

 

『その人との縁が切れる』ことを想像した時、寂しさや悲しさを通り越して、恐怖や絶望感に似た感覚を覚えるとしたら、それは相手への執着の一歩手前かもしれません。

 

執着は依存の始まりです。

自分では好意だと思っているその気持ちが、相手に対しての依存心ではないかどうか。

 

 

 

心は当人のもの。

誰のものにも決してなり得ません。

自分の願望通りになど動かない、と肝に銘じておく方が良いでしょう。

 

 

 

自分が相手を好きだから受け入れられると思っている姿勢は、相手にとって大変な迷惑や心労を与えるものです。

 

 

家族でも、友人でも、恋人でも、同僚でも、上司でも、部下でも、です。

 

 

心的ストーカーに陥らない為には、自分自身のみ唯一の拠り所であることに気付き、受け入れることです。

 

欲しがりをやめる。

皆様こんにちわ。

 

暑さ寒さも彼岸までと申しますが、随分と過ごしやすくなってまいりました。

朝夕の寒暖差で風邪をひきやすくなっている方も見受けられます。

喉の弱い方は特にご自愛くださいませ。

 

 

 

 

さて、最近当たり前のように耳にする言葉、

インスタ映え』。

 

 

私はインスタグラムは致しておりませんが(今のところ必要性を感じないので)、比較的世代の若い女性たちの間ではもはや当たり前のSNSツールのようですね。

 

宣伝ツールとしての活用は多少見込めるのかもしれません。

 

実際、企業側は『インスタ映え』を狙った商品を打ち出し、インスタグラムをしている人たちの承認欲求を上手く利用して、瞬間的な売り上げアップが叶っているようです。

企業側からしてみれば、広告費が浮くわけですから利用しないわけはないでしょう。

 

しかし、半年か一年もすれば明らかな下降線になります。

一度SNSにアップされれば二回目はありません。

リピーターは来ないのです。

 

 

その為、より派手に、より目立つものを、と大変なスピードで新商品・新サービスを打ち出して行かねばなりません。

 

このループ、続くわけがないですね。

 

(商品も情報も使い捨てなのね。)

(そのエネルギーの使い道、他にないのかしら…)

 

 

おばちゃん化が加速している私には、虚しいループにしか見えていません。

お互いに煽り合い、躍らせ合っている関係。

 

 

 

写真を撮ったらほとんど食べずに棄てる人も少なくないそうですね。

「食べ物を粗末にしてはいけません」という訓え、私は大切にしていきたいのですが…。

 

 

テレビでどなたかが呆れた口調で仰っていました。

「こんなにも承認欲求の強い人たちが多いのかね…」

 

同感です。

そして事実、とても多いのでしょう。

 

 

 

付け焼き刃の色の重ね塗りをしてでも『キラキラしてる人だと思われたい』、という願望を止めることが出来ない人たちのことを、私には苦しんでいるように見えて仕方ありません。

欲望は満たされれば満たされるほど増幅し、制御しにくくなります。

 

 

 

自分という人間そのものに魅力があれば、自ずと注目されます。

目立たぬようにしていても、人が集まります。

 

 

何色か判らない色を重ね塗りしすぎて、もはや元の自分の色を見失ってしまっているとしたら、とても残念なことです。

 

 

どんなに高価な物を持っても、どんなに目立つアイテムを見せびらかしても、自分という人間そのものの価値は何ら上がる事はありません。

 

心にくっついた垢が溜まる一方です。

 

 

 

重ね塗りしすぎてしまって何色か判らなくなっているそれを全て拭い去り、溜めるだけ溜めた心の垢を綺麗さっぱり洗い落とし、中から輝く自分を手に入れてみては如何でしょうか。

 

 

 

 

得るは失うの始まりです。

欲しがるから手に入らないのです。

 

 

自分以外の誰かや何かに幸せにしてもらおう、

充実してそうに見られていなければ幸せじゃない、

 

などという他人任せの幸せ願望がある限り、一生幸せにはなれません。

ますます幸福は遠ざかります。

 

 

最後に、この言葉をご紹介します。

《強く見せる努力をやめて、強くなる努力をするべきだ》 By アドラー

 

それは、自分がやっていること。

皆様こんにちわ。

 

 

先日、テレビを見ていて思うことがありました。

「いつも自分ばかりが怒られるのが嫌で、怒られないように怒られないようにしていた。」

と出演者のとある方が仰っていました。

 

けれどもその方のお話を伺っていると、誰がどう聞いても当人が相手を怒らせているんですね。

大袈裟な表現を使いますが、『自分は怒られている被害者で、怒っている相手が加害者である』という先入観があったんですね。

 

 

でもこれは、この人に限ったことではありません。

この方の場合は「怒られる」ことでしたが、実は全ての方が自分にとって他者から一番されたくない事を、つい他者に向けてやってしまっているのです。

 

 

例えば、

「いつも否定される。否定されたくない。」人は、他者を批判的な目で見ている人です。

 

「いつも自分ばかりが頑張っているのに誰も評価してもらえない。」人は、他者の頑張りや努力や成果を疎んじている人です。

 

「人からバカにされる事が恐い。」人は、自分よりも賢くないと感じた人に対して軽蔑にも似た感覚で見ています。

 

「使えない奴だと思われることが我慢ならない。」人は、心の中で利用価値のあるなしで人を仕分けしています。

 

 

このように、最も自分が恐れていることを、他者に対してやってしまっているのです。

一番問題なのは、周りから見たら一目瞭然で「あなた自身に問題があるよ」と見え見えなのに、当の本人だけがそこに全く気付かないどころか、周囲に対して被害者意識を募らせてしまっているということです。

 

人から批判されたり嫌われたくないと思っている人ほど、すぐに人の悪口や批判を言います。

自分が言うのを止めたら、自ずと言われなくなります。

 

 

昔から、『人は鏡』と言われますが、実際その通りです。

紫微斗数でも顕著にその様子は現れます。

 

 

最も苦手だと感じているその相手は他者ではなく、無意識に『されたくない事をやってしまっている』あなた自身である、とわかります。

 

いやはや、怖いですねぇ。

 

敵は自分の内なる心に他なりません。

 

 

 

もし、

「どうして自分ばかりいつも○○されるんだろう。」とか、

「どうしてもっと○○にならないんだろう。」、

などの気持ちが自分の中でくすぶっているとしたら、ひょっとすると自分自身が一番他者からされたくないことを無意識にしてしまっている可能性があります。

 

 

自分が一番他者にしてほしいこと、即ちそれは、あなた自身が一番他者に対して欠けている行いであり、最もやらなければならないことです。

 

 

そして、最もやらなければならない事を、勇気を持って他者に行うことができ、自然とそれが身に付いた時、神様からのご褒美の様な幸福感がもたらされることでしょう。

 

紫微斗数にはそういう訓えが潜んでいます。

有難いですね。

 

 

自分がされて嫌なことは、人に対してやってはいけない。

当たり前のことですが、これがなかなかやれているようでやれていないんですね。

自分という存在が最も見えにくく、視界に入っていないわけですね。

 

 

一番されたくない事を自分が人に向けてやってしまっている可能性を、どんな立場のどんな人であっても、常日頃から心に留めておいたほうが良さそうですね。