今日は常日頃から私が思っていることを、つらつらと綴ります。
ブログカテゴリーに「人生」を追加しました。
まだまだ未熟な若輩者ですが、毎日様々な人生に向き合うことを生業とさせて頂いている中で、思うこと感じること、考えることを綴っていけたらと思います。
日常でしばしば耳にする、或いは発する、「四苦八苦」という言葉。
ご存知の方も多くいらっしゃるかと思いますが、これは仏教用語の一つです。
四苦=生・老・病・死 → 人生における根本的な苦
これらは人間の本能的要素と言えるかと思います。
四苦の始めに、まず「生」があること。
これが真理だと思っています。
全ての苦は、「生」、ここから始まるのですね。
生まれてくる事、生きること、これ即ち「苦」である、と。
四苦の最初にこの「生」を唱えたブッダは凄い人ですね。
八苦=四苦と、次の4つを足したものを合わせて指すものです。
愛別離苦(あいべつりく)
=愛する者と別れる苦しみ
怨憎会苦(おんぞうえく)
=憎んだり恨んだりしている相手に会うことで感じる苦しみ
求不得苦(ぐふとくく)
=望むことや欲しいものが手に入らない苦しみ
五蘊盛苦(ごうんじょうく)
=ありとあらゆる精神的な苦しみ
四苦と八苦の違いはなんでしょうか。
四苦は「個」のみで存在する絶対的なもので、八苦は「他」が在るゆえに生じる相対的なもの、と私は考えます。
つまり、四苦=「私」のみで存在しうること。
一方、八苦=「私と他者」があって初めて存在する事。
八苦は、物心付いた頃から付いて回る感情ですが、この八苦に関しては、ゼロにすることは出来ないにしても、ある程度、和らげる術(すべ)があるように思います。
しかし人は、人として生まれたその瞬間から、四苦を背負っています。
それは、逃れる事の出来ないものです。
人は、生まれながらにして「苦」の存在であるわけです。
これは、とても重要なことだと思います。
以前、間も無く80歳を迎える老婦人が、
「センセ、生きるって、苦しいよ。生きるって苦しい事よ。」
と、強い眼差しで、且つしっかりとした口調で仰いました。
「四苦八苦」を嫌というほど味わってきた人の言葉です。
苦しい事をただ嘆いて生きてきた人の言葉ではありません。
どんなに苦しくても、歯を食いしばって生き抜いてきた人の言葉です。
戦争体験者でもあり、80年を生き抜いてこられた老婦人から発せられたこの言葉は、非常に重く、そして心に深く突き刺さるものでした。
早くに御主人様を亡くされ、以降ずっとお一人で子供3人を育て、うち二人のお子様は理系の大学まで出させていらっしゃいます。
ご苦労なさってこられた方です。
この老婦人が発したその一言の中に、一切の言い訳や、後悔などの臭い、甘えは、感じられませんでした。
実際に、数回お目にかかっていますが、この方から愚痴っぽい言葉や後ろ向きな発言を聞くことは、一度もありません。
それどころか、人一倍勉強熱心で、毎月何かしらの講義を聴きに行かれ、新しい事への関心を絶やさず、新聞を隅々までお読みになり、さらに学んだ事は後世へ遺してゆく、ということを実践なさっています。
尊敬と敬意を持たずにはいられません。
何も、選ばなくて済む「苦」を、好き好んで選ぶ必要は無いと思います。
しかし、満たされていては気づかない事がたくさんあります。
人生は「苦」で当たり前なのだと思っていれば、幸せだと感じる機会が多くなります。
人が健全に生きていくためには、健康と、教育、生活に困らない程度の収入、そして他者との交流が必要だと私は考えています。
この何れか一つが欠けていると、健全とは言えないかもしれない、と。
世界中で幼い子供が病に苦しんだり、人身売買など酷い目に遭ったり、飢えに苦しんで命を落としたりしています。
今を生きのびる為に闘わねばならない人々が居ます。
健全とは程遠い境遇です。
こうした人々は、強い四苦、「生・老・病・死」と闘っている事になります。
「老」すら経験することなく消えてゆく子供達がいるわけです。
一方で、戦後70年近く国内で戦争が無い日本において、年間の自殺者が長らく3万人を超えているといいます。
恐らくこの3万人の殆どが、八苦に耐えかねて、自らの命を絶っているのではないでしょうか。
もう一度記します。
八苦とは、生・老・病・死に加え、
愛別離苦(あいべつりく)
=愛する者と別れる苦しみ
怨憎会苦(おんぞうえく)
=憎んだり恨んだりしている相手に会うことで感じる苦しみ
求不得苦(ぐふとくく)
=望むことや欲しいものが手に入らない苦しみ
五蘊盛苦(ごうんじょうく)
=ありとあらゆる精神的な苦しみ
です。
「苦」ありきで人生、と言わんばかりの四苦八苦。
これらの「苦」を嘆く事は容易ですが、いくら嘆いても物事が好転するとは思えません。
間違ってはならないのは、手前勝手な欲が満たされないことは、決して「苦」ではないということ。
それはただの「我欲」であり、他者を羨む感情も、「我欲」に過ぎません。
「自分は間違っていない。だから私は変わる必要は無い。」
と、思っている人に、誰がチャンスを与えるでしょうか。
「私も悪いけど、相手はもっと悪い。だから謝らない。」
と、1ミリも反省せず、謝らない言い訳をしているだけの人に、誰が心から申し訳ないと思うでしょうか。
どんな人も、四苦八苦から逃れる事はできません。
むしろ、共生していかねばなりません。
どうしようもない「苦」を思い知るからこそ、本当の「楽」や「謝」に気付くのだと思います。
味わった「苦」の深さが深ければ深いほど、それを乗り越えたり、和らいだり、抜け出したときの感動の触れ幅は大きくなります。
他者の「苦」に触れた時、ともに心を傷めることが出来るのも、「苦」を知っているからこそです。
なんで自分だけがこんな思いを?
息をするのも苦しい・・・。
いっそ、消えてなくなりたい・・・。
耐え難い「苦」のなかで、まさに今この瞬間、声にならない叫びを挙げている人が居ます。
私は、そうした人の心に、鈍感になってはいないか。
私は、そうした人の心に、無関心になってはいないか。
生きている人すべて、「四苦八苦」なのです。
深い闇の中へ自分だけが陥ってしまったような気がして、抜け出す事すら考えられなくなるときが、人生にはあります。
でも、ちょっとしたこと、誰かのちょっとした言葉で、「もう少し、あともう少し、生き直してもいいのかな・・・」と思えたりするものです。
「苦」を意識せずに過ごせている人は、とても幸せです。
ただ、あなたがもし今そういう幸せな状況なら、どうぞあなたの隣で「苦」にあえぐ人の声に耳を傾けてください。
あなたが一緒に心を傷めてくれる、その優しい気持ちが、傍に居る人の「苦」を軽く感じさせるきっかけになるかもしれません。
みんな、生まれたときから四苦八苦。
大人になればなるほど、あちこちから「生きるって大変ですよね。」という言葉が聞こえてきます。
だからこそ、優しく、厳しく、「お互いさま」を忘れずに、生きていけたらいいな、と思います。


←これはお客様から教えて頂きました。 



